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伊勢湾台風から50年

これはいちこが生まれる前のお話です。。。

日本の台風災害史上最大の被害となった“伊勢湾台風”

その死者、行方不明者5,000人以上
住居の流失、全壊40,000戸以上 半壊110,000戸以上 浸水360,000戸以上
という今では想像出来ない程のつめ跡を残した災害でした


瀧原宮1


そしていちこのウチも今と同じ場所、山の上にあった訳で、
それはそれはトンでもない程の被害を受けたらしいです

その当時いちこのウチは新築したばかりだったそうです
家は完成していたのですが、外回り(外壁等)はまだ手付かず
おまけに山の頂上だから、風の通り道ってな具合で、
もろに台風アタックを受け、なんと柱一本になってしまったそうな…(ノ_<。)
後はみんな裏山に飛んでったらしいです。

おかげさまで、家族全員、命は無事でしたけど
その台風の中命の危険を感じ避難する途中、あまりのすさまじい暴風雨に、
まだ小さかった兄は近くにあった電信柱(昔の木の電信柱)
に必死でつかまったそうなんですが、つかまった途端に身体が浮き
『クルっと一回転!!』
なんてマンガのような事になったと、今では自慢の一つになっています

いち┐(´~`;)┌ : それでいいのか?


瀧原宮2


なんでもこの伊勢湾台風、瞬間最大風速は50~70メートルとも言われ、
近くの自衛隊の風速計が65メートルを指し、壊れてしまってたらしいです
あまり風速で言われてもピンとこないいちこですが、
時速200キロの新幹線の上に車体がないまま乗ってるって感じ…と言われ

いち (⌒▽⌒)ゞ なるほどね~!

と言ったものの、

いち ( ̄~ ̄)ξ むしろ想像出来ないし。。。


瀧原宮3



そして、伊勢神宮のお話…

この台風で、なんと一夜にして、10万本もの大切な御神木を失う事になった大惨事…
樹齢〇百年~〇千年のそれはそれは立派な木々が次々根っこからなぎ倒されたそうです
ですが、倒れた御神木達は決して内宮御正殿を傷つける事はなかったと言います。
重なり倒れてる大木、枝や葉でさえも、まるで御正殿を守るかのように
御正殿をさけ折り重なるように散乱していたというお話を聞きました

そういえば、外宮の清盛楠が真ん中から割けているのも、
伊雑宮のお宮に一番近い杉が斜めになっているのも、この時の影響です
あれから今日で50年、清盛楠も伊雑宮の杉も “生きる” って事の素晴らしさを
私達に教えてくれているように思います


瀧原宮4

(今日の写真は瀧原宮の自然です)
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今日と言う日

度々失礼します。
ちょうど五十年前ですか…。激しい被害でしたね。新幹線の例えで風速の凄さが(>_<。) 新幹線の窓って確か開きませんよね…。
それの車体無し…。
子供の頃のテレビで、百恵さんの「赤いシリーズ」してましたが、冒頭で伊勢湾台風の様子が映し出されていました。少しの時間でしたが、幼心に「大変な事が有ったんだ」と感じました。
伊勢神宮のご神木の倒れ方も、神宮ともなるとそういう事も有るのかと、変に納得してしまいます。 でもやっぱり不思議です。
それから、他のブログのコメントに有りましたが、青函連絡船がタイタニックに次ぐ犠牲者を出した日でも有るとの事でした。 55年前だそうです。今日という日は 何なのだろうかと思いました。 犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
…しかし、いちこ様のご家族がよくぞご無事でいて下さいました!
おかげで、こうして私も画面を通して 伊勢の風景を見させて頂いております。 (*^_^*)ありがとうございます。

Re: 今日と言う日

もちろん当ブログはエブリデイ・ウエルカムです(^-^)
むしろありがたや~♪状態です!

伊勢湾台風、青函連絡船、
私も改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。。。
そういったご苦労をされた先人の皆様のおかげで、
今の安心なこの町での生活が出来ているんですものね
私も『赤いシリーズ』見てましたヨ!ただその時はドラマの内容が、
こんなに身近な事だったとは、判ってなかったかも知れません。
再放送だったか、ダイレクト放送だったかはこの際置いときましょうd(^-^)賛成

青函連絡船のお話は初めて聞きました。早速この後ググって見たいと思います。

色んな人々に支えられて、繋げていただいて2009年の今を生きる私達は
とっても幸せなんですよね(‥、)ヾ(^-^ ) 感謝しなくっちゃ!!

いちこのプチ情報。。。なんでも伊勢湾台風で倒れた御神木のうち、
内宮のとても大きなクスの木、当時じじが勤めていた運送会社によって
国会議事堂に運ばれたんですって(^_-)-☆今でもあるのかなぁ~? 

No title

朝からそのニュースばかりなので、うちも主人と思い出話をしました。私は2歳になったところで、覚えていません。弟は7ヶ月。
主人は近くの高校に避難したことを覚えてました。トイレをしようとして祖母にどぶに落とされたそうです。(笑) じゃあ私の兄も何か覚えてるかなあとメールしてみましたら、風で屋根が飛んで行くのが見えたとか、私はそのころ住込みでいたお手つだいのおばあさんに抱っこされてたとか言ってました。母や父から聞いたのは雨戸が飛んで 家の中心の壁のところに家族でかたまっていたということでしたので きっとそのときのことでしょう。
伊勢湾の怖さのトラウマから、父たちは台風が来ると言うといつも大騒ぎでしたねえ。いちこさんのご両親もそうでないですか?

>おむすび3さま

ようこそ~(^o^)/~~~コメントありがとうございます
そっかぁ~おむすび3さんも東海地方の方ですよね♪

> 伊勢湾の怖さのトラウマから、父たちは台風が来ると言うといつも大騒ぎでしたねえ。
いちこさんのご両親もそうでないですか?

わかります!わかります!!p(^-^)q
いちこ家では長い間、二階建て絶対禁止令が出ていました。
それといちこが物心ついた時からずーっと、異常な程の台風に対する対策が成されておりました。
“掛け戸”って言うものらしいのですが、台風が近づくと、外から分厚い鉄製の戸を
玄関から、窓から全てにはめていました。

今では建築技術も進んで、山の上という立地条件でも、二階建ては大丈夫と
今の家を建てる時に建築業者さんからお墨付きをいただき、
いちこは夢の二階の部屋に陣取っております。。。
掛け戸もシャッターに変わりました(^-^)∠-☆

それはそうと…“お手伝いさん”ってあなたはもしかして
どこぞの深窓のご令嬢?q(°o°)p

とんでもないです。

昔は加工場と言って、お米を精米したり、粉をひいたり、うどんを作ったりしてたそうで、たぶん母が弟を出産したあたりからお手伝いさんをやとったのではないかな。そのおばあさんも離婚したところだとか聞いたし、助け合いってところだったのだと思います。わたしが子供の頃はみんな貧乏だった頃ですからね。食べ物の店をやれば食べることだけは出来るってことで八百屋を始めたそうです。父は人が良くて借金を背負わされて苦労したようです。そんなことはしらずに可愛がられて のほほんと育ったのがわたしです。貧乏人の嬢さん育ちと言われております。自分たちが貧乏して育ったので子供にだけは、、、ってのでしょうねえ。

>おむすび3さま

お返事ありがとうございます(^o^)/~~~

ほ~らやっぱり(^-^)!!!正真正銘のお嬢様じゃないですか!!
ご苦労が多い時代にも関わらず親御さんの愛情を一身で受けて、
周りの方々にも愛されて大切に育てられた様子がヒシヒシ伝わってきましたヨ(^_-)-☆
生意気言ってごめんなさいね!
決して財産の多さや住む家の大きさがその判断基準じゃないように思います
どれだけ大切に愛情一杯で育てられたか…それが一番大切な事なんですよね♪
まさに生粋のお嬢様(*^-^*)

いやネ!おむすび3さんの創られたミニ神嘗祭の画像を見させていただいたんですよ~
和紙の風合いと共に優しさや心遣いがステキで、その中にあるただ者ならぬ
センスの良さを感じてしまいました(^з^)~♪
もちろんおむすび3さん自身のステキな個性だと思うんですけどね
その個性を形作っている基になってるのは親御さんの愛情なんじゃないかな
なんて。。。あっ!やっぱ生意気ですかね(≧∇≦)!ごめんなさい!

なんか嬉しい。

だって、小生とみんなの年齢が近いみたいなんだもの。

>陸離さま

> だって、小生とみんなの年齢が近いみたいなんだもの。

だ・か・ら!いちこの生まれる前の話なんだってば~~(笑)
そこのところよろしくです^^
プロフィール

いちこ

Author:いちこ

伊勢神宮の神様の森は甲子園球場の1300倍!だから伊勢の空気や水はとても清らかなのです

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